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静岡地方裁判所 昭和56年(行ウ)20号 判決 1985年3月14日

静岡市北安東4丁目5番32号

原告

古川力

訴訟代理人弁護士

岡田久恵

静岡市追手町10番88号

被告

静岡税務署長 鈴木武男

指定代理人

大沼洋一

ほか5名

右当事者間の課税処分取消請求事件について,当裁判所は,次のとおり判決する。

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  原告

1  被告が原告に対して昭和56年1月12日付でなした原告の昭和53年分及び昭和54年分所得税についての各更正処分及び過少申告加算税の各賦課決定処分を取消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  被告

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告は,肩書地において,古川整形外科医院の名称で医院を営む整形外科医である。

2  原告は,昭和53年分の所得税に関し,事業所得の金額を4,777万5,893円,納付すべき税額を882万1,400円とする青色の申告書による確定申告書を,また,昭和54年分の所得税に関し,事業所得の金額を5,065万8,754円,納付すべき税額を866万6,800円とする青色の申告書による確定申告書を,それぞれ法定申告期限までに被告に提出した。

3  その後被告による調査を契機として,原告は,昭和55年12月1日,昭和53年分の総所得金額を5,634万4,367円(内訳,事業所得の金額,5,628万4,387円,雑所得の金額,5万9,980円),同年分の納付すべき税額を1,439万0,600円,昭和54年分の総所得金額を5,926万5,262円(内訳事業所得の金額5,917万7,319円,利子所得の金額9,643円,雑所得の金額7万8,300円),同年分の納付すべき税額を1,425万9,400円とする修正申告書を被告に提出した。

4  これに対し,被告は,自動車事故により受傷したため原告の診療を受けた訴外山本昌平(以下「山本」という。)に対する診療報酬が申告されていないこと等を理由に,昭和56年1月12日付で,前記申告に係る原告の昭和53年分の総所得金額を5,810万1,847円(内訳事業所得の金額5,804万1,867円,雑所得の金額5万9,980円)に,同年分の納付すべき税額を1,553万3,300円に,また,昭和54年分の総所得金額を6,367万1,462円(内訳事業所得の金額6,358万3519円,利子所得の金額9,643円,雑所得の金額7万8,300円)に,同年分の納付すべき税額を1,722万1,100円にそれぞれ更正し,昭和53年分として5万7,100円,昭和54年分として14万8,000円の各過少申告加算税を賦課する決定(以下「本件処分」という。)をした。

5  原告は,本件処分を不服として昭和56年3月5日,国税不服審判所長に対して審査請求の申立をしたが,被告は,原告の審査請求申立の後である同年4月2日付で,原告の昭和54年分所得税に関し,納付すべき税額を再更正して1,715万1,100円に減額し,過少申告加算税の額を14万4,500円に減額する決定をした。

6  国税不服審判所長事務代理,国税不服審判所次長高瀬昌明は,原告の審査請求を棄却する裁決をし,同裁決書の謄本は昭和56年8月19日頃原告に送達された。

7  ところで,原告は,山本に対する診療報酬については,同人に対して損害賠償責任を負っている交通事故の加害者(以下「事故の加害者」という。)からその支払を受けるべく,事故の加害者を相手方とする債権者代位調停(静岡簡易裁判所昭和56年(交)第12号事件)を申立て,同事件において,静岡市外科医会の取極めに基づき30円に健康保険点数,労災保険点数を乗じた金額を請求したのに対し,事故の加害者側が,10円に健康保険点数,労災保険点数を乗じた金額を超える部分の支払義務を争ったため,調停は不成立となった。しかし,その後更に原告と事故の加害者との間で交渉を重ねた結果,昭和57年に入って,両者の間で山本に対する診療報酬の額を400万円とする合意が成立した。

8  そうすると,原告の山本に対する診療報酬債権は,昭和57年に入って初めて確定したというべきであり,昭和53年,同54年中には,原告は,右診療報酬の現実の支払を受けなかったのみならず,その請求権を行使することもできなかったのであるから,右債権は,昭和53年,同54年においては,所得税法にいう「収入すべき金額」に含まれないと解すべきである。したがって,本件処分は,被告の誤った見解に基づいてなされた違法な処分である。

9  よって,原告は,本件処分の取消しを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1ないし5の事実は認める。

2  同6の事実も認めるが,裁決書謄本が原告に送達されたのは,正確には昭和56年8月18日である。

3  同7の事実は知らない。

4  同8の主張は争う。

三  被告の主張

1  本件各係争年分の原告の所得金額について

(一) 昭和53年分

(1) 原告の事業所得に係る総収入金額は,原告の修正申告額1億5,548万6,648円と山本に対する診療報酬175万7,480円との合計額(1億5,724万4,128円)である。

(2) 原告の事業所得金額は,(1)の総収入金額から,必要経費9,910万2,261円及び青色申告控除額10万円を控除した額である。

(3) 原告の総所得金額は,(2)の事業所得金額と雑所得金額5万9,980円との合計額である。

(4) したがって,原告の事業所得金額は5,804万1,867円,総所得金額は5,810万1,847円である。

(二) 昭和54年分

(1) 原告の事業所得に係る総収入金額は,原告の修正申告額1億4,629万2,457円に,山本に対する診療報酬435万6,200円及び昭和54年3月20日に外科医師望月欣也(以下「望月」という。)から支払を受けた手術謝礼金5万円を加算した額(1億5,069万8,657円)である。

(2) 原告の事業所得金額は,(1)の金額から,必要経費8,701万5,138円及び青色申告控除額10万円を控除した額である。

(3) 原告の総所得金額は,(2)の事業所得金額と,利子所得金額9,643円及び雑所得金額7万8,300円との合計額である。

(4) したがって,原告の事業所得金額は6,358万3,519円,総所得金額は6,367万1,462円である。

2  山本に対する診療報酬について

(一) 原告は,自動車事故による受傷者山本に対し,昭和53年中に175万7,480円の報酬に,昭和54年中に435万6,200円の報酬に,それぞれ相当する診療行為をした。

(二) 原告と山本との間においては,原告が昭和53年同54年に右(一)記載の金額の診療報酬に相当する診療行為をしたことによって,直ちに原告の右金額の診療報酬請求権が確定し,原告はこれを行使できるようになったのであるから,右金額の診療報酬請求権は,原告の昭和53年,同54年分の所得金額の計算上,各年分の「収入すべき金額」に該当するというべきである。

(三) 原告は,山本に対する診療報酬につき,事故の加害者にその支払を請求したところ,昭和57年に入って,原告と事故の加害者との間で右診療報酬の額を400万円とする合意が成立したのであるから,原告の山本に対する診療報酬債権は,昭和57年に入って初めて確定したと解すべき旨主張する。

しかしながら,原告と事故の加害者との間の右合意は,本来の債務者たる山本に対する原告の診療報酬請求権の存否及び範囲に法律上の影響を及ぼすものではない。また,仮に原告が山本に対し400万円を超える部分の請求権を放棄(免除)するなどして,診療報酬の金額が減少することとなった場合であっても,当該減少金額は,所得税法51条2項の規定により,原告の事業所得を生ずべき医療事業について,その事業の遂行上生じた損失の金額として,その損失が生じた日の属する年分の事業所得の金額の計算上,必要経費に算入し得るのはともかくとして,遡って診療報酬請求権が確定した昭和53,同54年における各収入金額に変動を生じさせるものではない。

3  したがって,山本に対する診療報酬請求権が,原告の昭和53年,同54年分の所得金額の計算上,各年分の「収入すべき金額」に該当するとの判断に基づいて,被告が行った本件処分は適法である。

4  被告の主張に対する原告の認否及び反論

1 被告の主張1について

(一) 被告の主張1(一)(1)のうち,原告の昭和53年分の事業所得に係る総収入金額に,山本に対する診療報酬が含まれるとの点は争い,その余の点は認める。

(二) 同1(一)(2)及び(3)の点は明らかには争わない。

(三) 同1(一)(4)の事業所得金額及び総所得金額は争う。

(四) 同1(二)(1)のうち,原告の昭和54年分の事業所得に係る総収入金額に,山本に対する診療報酬が含まれるとの点は争い,その余の点は認める。

(五) 同1(二)(2)及び(3)の点は明らかには争わない。

(六) 同1(一)(4)の事業所得金額及び総所得金額は争う。

2 被告の主張2について

(一) 被告の主張2(一)の事実は認める。

(二) 同2(二)の主張は争う。

所得税法36条1項の「その年において収入すべき金額」に該当するためには,収入すべき金額が確定し,具体的に権利を行使することが可能であることが必要であり,契約内容その他法律上,事実上の諸条件を総合考慮しても,なお権利の内容の金額が確定せず,裁判の結果を待たなければならない場合は,「その年において収入すべき金額」に該当しないと解すべきである。

ところで,交通事故の受傷者に対する診療報酬債権は,交通事故の加害者が加入する保険の保険金によって支払われるのが通常であるが,その金額は,保険会社の保険契約約款によって確定されるものが多く,債権者が一方的に金額を確定することができない性質の権利である。そして,原告の山本に対する診療報酬債権は,原告と事故の加害者との間で金額に争いがあり,裁判所の判断を待たなければ確定しない性質を有する権利であったのであるから,確定債権としての課税処分は許されない筋合である。

(三) 同2(三)の主張は争う。

原告と事故の加害者との間で成立した原告の山本に対する診療報酬債権の金額に関する合意は,「古川整形外科での治療費については事故の加害者が病院と協議のうえ支払うこと」等を内容とする示談が,山本と事故の加害者との間で成立したことに基づき,原告の山本に対する本来の診療報酬債権の額を確定したものであるから,被告の主張は失当である。

第三  証拠

本件記録中の書証目録記載のとおりであるから,これを引用する。

理由

一  請求原因1ないし6の事実(本件訴訟に至る経過)は,当事者間に争いがない。

二  原告は,昭和53年,同54年分の総所得金額及び納付すべき税額に関する被告の主張のうち,山本に対する診療報酬請求権が,原告の昭和53年,同54年分の事業所得に係る総収入金額に算入されるべきであるとの点のみを争い,その余の点はすべて認めている。

そこで,右の争点について検討する。

(一)  被告の主張2(一)の事実(原告が,山本に対し,昭和53年中に175万7,480円の報酬に,昭和54年中に435万6,200円の報酬に,それぞれ相当する診療行為をしたこと)は,当事者間に争いがない。

しかして,右事実によれば,山本に対する診療につき事故の加害者と原告との間で診療契約が締結されるなど特段の事情が認められない本件においては,診療行為に先立ち,山本と原告との間で,30円に健康保険点数,労災保険点数を乗じて得られる額の報酬で診療を行う旨の契約が締結されたものと推認することができる。

(二)  ところで,所得税法は,一暦年を単位として各年分ごとに課税所得を計算し課税を行うことにしているところ,同法36条1項が,当該年分の各種所得の金額の計算上収入金額とすべき金額又は総収入金額に算入すべき金額は,原則として,「その年において収入すべき金額」とする旨規定しているところから考えると,同法は,現実の収入がなくても,その収入の原因となる権利が確定した場合には,その時点で所得の実現があったものとして,右権利確定の時期の属する年分の課税所得を計算するという建前(いわゆる権利確定主義)を採用しているものと解される(昭和40年法律第33号による改正前の所得税法に関する最高裁判所昭和40年9月8日第二小法廷決定刑集19巻6号630頁。同昭和49年3月8日第二小法廷判決民集28巻2号186頁。同昭和53年2月24日第二小法廷判決民集32巻1号43頁。)。すなわち,現実の収入があるまで所得税の課税をなし得ないとすると,所得の帰属年度について納税者の恣意を許し,課税の公平を失するおそれがあるため,所得税法は,徴税政策上の技術的見地から,収入すべき権利の確定したときをとらえて課税することとしたものと考えられるのである。

そして,収入の原因となる権利が確定する時期は,それぞれの権利の特質を考慮して決定されるべきであるが,医師の診療報酬債権は,原則として,医師が診療契約に基づいて患者に対する診療行為を行うことによって,直ちに行使できる性質の権利であるから,医師が患者に対して診療を行った時期にその権利が確定すると解するのが相当である。したがって,医師の事業所得の計算において,診療報酬請求権は,医師が診療行為を行った時期の属する年分の収入金額として計上すべきものと解される。

そして,原告が,山本との診療契約に基づいて,同人に対し,昭和53年,同54年中に被告主張額の報酬に相当する診療を行ったと認められることは前示のとおりであるから,原告の山本に対する診療報酬請求権は診療行為が行われた時期の属する昭和53,同54年分の収入金額として計上されるべきである。

(三)  原告は、原告の山本に対する診療報酬債権については,山本と事故の加害者との間の示談により,事故の加害者が支払うことになっていたところ,事故の加害者と原告との間で右債権の額についての合意が成立したのは昭和57年に入ってからであるから,右債権は昭和57年中に確定したと解すべきであり,また,交通事故の受傷者に対する診療報酬債権は,債権者が一方的に金額を確定することができない性質の権利である旨主張している。

しかしながら,交通事故の被害者に対して診療行為を行ったことによる医師の報酬請求権も,医師が診療契約に基づいて保険診療又は自由診療の形式により治療を行うことによって直ちにその金額が定まる性質の権利であり,また,山本と事故の加害者間の示談の内容,事故の加害者が支払うべき治療費の額に関する原告と事故の加害者間の合意の内容は,いずれも原告の山本に対する本来の診療報酬請求権の内容に直接影響を及ぼすものではないから,原告の主張は失当である。

(なお昭和57年に原告と事故の加害者との間で合意が成立した際,原告が,山本に対する診療報酬請求権のうち合意額を超える部分について,放棄する意思を有していたのであれば,原告が放棄した額は,事情によっては,事業の遂行上生じた損失として,その損失の生じた日の属する年分の事業所得の金額の計算上,必要経費に算入しうる場合もあるが,右合意は,遡って昭和53,同54年の各年における原告の事業所得に係る総収入金額に変動を生じさせるものではないと解される。)

三  以上の次第で,被告が,原告の山本に対する診療報酬請求権は,原告の昭和53,同54年分の事業所得に係る総収入金額に含まれるとの判断の下に,本件処分を行ったのは相当であり,他に本件処分を違法とすべき点はない。

四  よって,原告の請求は理由がないから,これを棄却することとし,訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条,民事訴訟法89条を適用して,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 佐久間重吉 裁判官 北村史雄 裁判官 孝橋宏)

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